
自動車を運転するとき、ドライバーは瞬時に数多くのことを判断しています。前の車が急停止しようと、子どもが飛び出してこようと、ドライバーが判断してハンドルを正しく操作すれば自動車事故の大半は回避できます。現実には判断エラーのない自動車運転は不可能に等しく、これまではエラーの可能性を回避するために十分な休息や睡眠、リラックスした状態での運転が推奨されてきました。法律によって厳しい罰則が定められている飲酒運転や、最近特に推奨されている高齢者の免許返上は、もともと判断エラーの可能性が高まることが理由とされています。
AIにドライバーの眼を期待する
ならばAIには、ドライバーの眼を期待します。現在注目されているサービスがAIによる運転コンシェルジュサービスです。自動車のダッシュボードにカメラを後付けし、歩行者や自転車、車線などの情報を認識します。危険を察知すると、「歩行者が飛び出してきています!」と注意を促し、ドライバーの見落としを防ぎます。いわば人の眼とAIのダブルチェックといえます。
危険性を判断するために、AIは膨大な教師データを読み込んでいます。子どもも自動車の種類もさまざまな形態があります。高速道路を走っているときに車の横に移る線と、車線を判断するのは経験値が必要です。道路の広さによって見え方も異なってくるでしょう。また天候が晴れなのか、雨なのかによっても見え方が違います。自動車搭載カメラが発明されたときからドライバーの眼となることは期待されてきましたが、長年開発の難しさが課題としてありました。現在のAIサービスは、待ちに待ったサービスの実現といえます。
自動運転は事故発生を前提としていないのか
次の段階はAIによる強制操作です。現在はAIがどれだけ注意を促そうとも、ドライバーがハンドルやブレーキを操作しなければ事故は回避できません。AIがハンドルやブレーキを操作できるようになれば、更に事故のリスクは減るでしょう。ただハンドルを操作するには後付けのサービスでは難しく、自動車の製造段階から関与していかないという課題が残ります。自動車会社による全面的な協力が大前提となるでしょう。
そして、その次に見えてくるのが自動運転です。完全段階の自動運転はAIによる強制操作からドライバーの判断を除外するものであり、自動車運転の主役交代を意味します。議論の難しいのは、自動運転は事故発生を前提としていないのかという点です。自動運転による事故が世論的にまったく許されないのであれば自動運転の本格提供はまだ当面時間が必要な印象を受けます。反対に現在の事故率を許容するのであれば、自動運転の提供は数年早くなるのではないでしょうか。さまざまな対応を見ていると、先に欧米で自動運転が導入され、頃合いが高まったあたりで日本が世論の高まりで導入を決断する、とても日本人らしい導入開始になるような気がします。